夢の模型飛行機

こんな模型飛行機があったらいいな。そう思ったたくさんの人たちがこんなに素敵なもの作りました。

2017-11

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

時間と模型

新しい模型飛行機を作るという話になると、多くの人がついつい口にしてしまうのが
「時間がなくてなかなかそれが…」
とういう言葉。

でも本当は、それが言い訳なのだということに、模型を作る人なら誰もが自分で気付いています。

林先生は僕の中学時代の美術の先生です。
85歳か86歳。
僕の知っている限り最年長の現役モデラーです。

20070518135238.jpg

先生はその年齢になられたというのに今でも趣味の多い方で、絵画や散策などにたいへん忙しくしていらっしゃいます。
林先生が飛行場所に現れるのは年にほんの数回だけ。
しかし先生はその度に必ず新作の飛行機を持っていらっしゃいます。

20070518135851.jpg

これはエアロウイングスのメカを利用してお作りになった、オリジナル機。
車輪も付いた本当に可愛らしい、そして新機軸の飛行機です。

「まあ飛行機もやりたいけど、ぼつぼつやねえ」

そう言いながら林先生は2~3回飛行機を飛ばすと
良く飛んでもうまく飛ばなくても、とても満足して帰って行かれます。

20070518135835.jpg

この飛行機は風がずいぶん強かったのに、うまく可愛いく飛びました。

そんな林先生が珍しく、その翌週か翌々週だったかにまた新作機を持って現れました。
カーチスのプッシャー式スポーツ機だそうです。

20070518141301.jpg

「女房がね、僕が庭いじりをしてると機嫌がいいのに、飛行機を作り始めると、どういうわけか今だに機嫌の悪くなるんが具合の悪いとこやねえ」

20070518141529.jpg

最初はなかなか上手く行きませんでしたが、先生はその場でどんどん修正をして、最後はとてもいい感じで飛んでくれました。

20070518141735.jpg

「まあ、こっちはやっぱり、ぼつぼつやね」

自分がいつまで生きて、あとどれくらい趣味を楽しめるかなんて、神様ではないのですから誰もが全く解りません。言うなれば、その趣味が楽しければ楽しいほど、残された遊びの時間は誰にとっても残り少ないと考えられるのです。

「ぼつぼつ」

自分の納得できる飛行機をしっかり作って、飛ばして、満足する。
林先生は時間のセンスについても達人です。


その気になれば誰にでも時間はたっぷりあるはずです。
でもそれは楽しめれば楽しめるほど、残り少なく思えてならなくなつてしまう、不思議な不思議な時間なのですが……

スポンサーサイト

タイガーロケッティー

1980年頃まで売られていた模型動力でタイガー製作所が販売していたタイガーロケッティーというものがありました。

おぼろげながら、このロケットモーターには英国製の本家にあたる製品があるというような事は聞いていたのですが、最近ネットでその復刻版が発売されている事を知りました。

「世界まる見えRC模型通販カタログ」
http://www2.famille.ne.jp/~gmj/index.html

というオンラインショップの「おもしろグッズ」のコーナーで販売されていました。

20070320173941.jpg

おおーこれが本家のJ-TEXかぁ。
当時と同じものかどうか解らないのですが、タイガーとは趣が違います。
はっきり高級品だと解ります。

値段もタイガーのが450円ぐらいだったのに対してこちらは5700円
さらにスペシャルエディションは7200円

20070320173920.jpg

リッチなお値段だなあ、どうしようかなと思っているうちに売り切れ。
逃がした魚はとてつもなく大きかったかも知れません。

僕がA型タイガーロケッティーの飛行機を飛ばしたのは22回でした。
どうして正確に覚えているかと言うと、18秒間噴出ガスの出る燃料の値段が1個30円とかなり高くて、その1回毎がすごくイベンティブだったからです。

300円で10個の燃料セットを2回買ったのと最初のセットに付いていたのが6個。
4個の燃料を残してずいぶん長い間机の引き出しの中にあったのだけど、あれはどうしてしまったのだろうか‥

エンジンの取り扱いには結構難しさもありました。
フタを開けて固形の燃料を入れて導火線をセットして、燃料カスで噴出口が塞がらないようにするための丸い金網をセットして、石綿のパッキングを入れてフタを閉める。
噴出するガスはほとんど熱さを感じないのですが、燃焼中はエンジン本体は200度か300度ぐらいになりますので機体かテストベンチにセットします。
「爆発の危険はありません」と説明書に書かれていた通り、燃料の反応はとてもゆっくりで、子供にも充分扱える感じのものでした。
そして導火線に点火。
難しいのはこのすぐ後です。
燃え出した導火線には何故か細い針金のような芯が残ります。
この芯を付属の針金で手早くほじくって、噴射口をクリーンにしてやらなければならないのです。でもたった18秒の噴出時間だとプレッシャーがかかると、気持ちばかりが焦ってなかなか上手く行きません。
じたばたと発進準備をするうちガスの噴射がいよいよ強まりだして、速く投げなきゃとさらに焦ります。そして最初に確認していたはずの風向きなんかはまったく解らなくなり、結局大慌てで飛行機を放り投げてしまいます。
だからタイガーロケッティーの飛行機は滅多にうまく飛びませんでした。

ほとんどがそんなどたばたでしたが、それでも上手く行った時のロケット飛行機の飛行はほんとうに感動的でした。
飛行機そのものはバルサ製の円盤翼のハンドランチグライダーだったのですが、それが音もなく一定の迎角を保ちながらぐんぐん空へと上って行く‥

それはゴム動力以外の初めての動力飛行の体験でした。

そしてもうひとつ忘れられないのがその噴出ガスの強烈な臭さ。
あれは無煙火薬と同じような匂いなのでしょうか。

そしてさらにもうひとつ、飛行を楽しんだらすぐにやっておかなければならないのが、燃料の燃えカスの掃除。
上手く飛ばなかったからと面倒になって掃除をせずに放って置いて何度もひどい目に遭いました。先ずはフタがびっちり固着して開かない。ペンチではさんだりドライバーで叩いたり、必死の思いで何とか外れてもそれで終わりじゃありません。エンジン内部には臭くてカチカチになった燃料カスがびっちり詰まっていて、ほじってもほじってもキレイにならなくて、ほんと泣きそうになります。

今なら間違いなくJ-TEXで小さなRC機が飛ばせます。
実験としては楽しいだろうけど、あの頃の興奮が蘇ってくるだろうか‥

これを書いていてタイガーロケッティーを飛ばさなくなった時の事を思い出しました。

小学4年生になった時に僕は夕刊配達を初めて月に4000円ぐらいのお給料を貰うことができるようになったのです。お母さんには無駄使いせずに全部貯金しなさいと言われていたけど、それでもそこそこに貯金の額を誤魔化して10個300円のロケッティーの燃料ぐらいなら毎月でも買えるようになったのです。
するとあんなに緊張していたはずの点火にも緊張感がなくなり、最後はぞんざいに作った翼のないロケットにロケッティーを付けて飛ばないからと投げ上げてみたり‥
その後はもうロケッティーを飛ばすことは無くなりました。

ごめんなさいロケッティー。僕はその頃、悪い模型小僧に成り果てていました。



あれまあ、
書き始める前とは全然違う、意外な記憶に行き着いてしまいました。

※関係者の皆様へ
製品写真の使用について問題がありましたら削除させて頂きます。

模型の神様

僕はもしかすると、模型の神様に会ったのではないかと思っているのです。

1960年代の終わり頃、小学3年生の僕は堺市の浜寺公園という松林の有名な公園で、不思議な人物に出会いました。
その頃の浜寺公園は臨海部の埋め立て地にコンビナートを誘致し、美しい砂浜を失った見返りに、大規模な花壇や舗装された散歩道が整備されていました。
花壇にはバラが植えられ、季節の良いころには結構な人出で、中央のアスファルトで舗装された広場にも行き交う人が大勢いました。
その広場でラジコン飛行機を飛ばそうとしている一人の初老の男性がいたのです。
人込みと言ってもいいその場所で足元に大きな模型飛行機を置いて、近づいて来る子供ににこにこと笑いかけている。
僕の親父は当時シングルチャンネルのボタン打ちの RC機を始めたばかりで、15エンジンの練習機をノーマフラーで回していたりして、僕はエンジン模型のあまりの凄まじさに恐れを成して、ラジコンやUコンの飛行機にはあまり近づきたくなかったのですが、何故かそのおじさんには引き寄せられて行きました。
ラジコンといえば大きな道具箱を横に置いて、ぴかぴかの飛行機は見ていても整備ばかりでエンジンもなかなか掛からず、滅多に飛び上がらないというのが相場でしたが、その人の様子は違いました。
飛行機は今でいう25クラスぐらいだったでしょうか、低翼の赤い機体で紙張りだったと思うのですが、主翼には破れているところもあり、かなりボロい感じ。手にしているのは送信機と単一の電池が一本、小さなチョークポンプが足元にありました。
たくさん子供が集まって来たのを見計らうと、おじさんはキャブレターに2、3滴チョークをして、手の中の単一電池のお尻をプラグの先端に当てて+の極にハンダ付けされたリードをエンジンのシリンダーに触らせると、ぽんと一つだけプロペラを叩いてエンジンを掛けたのです。エンジンのシリンダーを摘んでいたのか、それともエンジン始動で飛びだす飛行機を電池を持った手で器用に止めたのか、いま再現しようとしてもそのやり方は解りません。
とにかく、そうして掛けられた飛行機のエンジンの音の静かな事。
当時のエンジン始動は全開が普通でしたので、始動と同時に轟音が響き渡るのですが、その人のエンジンは最スローで掛けられたのです。
ぽろぽろ回るエンジンを見下ろしながら、その人はやっぱり子供達に笑っていました。
そして、人の流れがちょっと途切れたすき間を縫って、エンジンの回転を少し上げた飛行機を滑走させると、ひょいと飛び上がらせたのです。そしてゆっくりとした速度で人々の頭上を一回りした飛行機は、また行き交う人のすき間を狙って着陸すると、ころころとおじさんの足元に戻りました。
いま思えば言語道断の危険行為なのですが、怖がりのビビリんちょだった僕の目から見ても不思議に危ない感じはしなかったのです。
不思議と言えばその飛行機のエンジンの静かさも当時では考えられません。マフラーがどうだったか、そこの記憶はまったくないのですが、今思い出してもムサシノのサブマフラー付きに匹敵する静粛性だったように思えてなりません。そしてあの自由自在の軽い飛びは何だったのでしょう。その頃にそんな飛行の出来る操縦装置が実在したのでしょうか。
その人は戻って来た飛行機を見つめている僕に尋ねました。
「低翼はエルロンじゃないと飛ばんのに、この飛行機はラダーだけ。何で飛ぶべるか解るかな」
僕は飛行機の様子をよく見てから、恐る恐る応えました。
「上反角が大きいから?‥」
その人はほうほうと笑って言いました。
「よーし、よし。その通り」
おじさんがもう一度飛行機を飛ばすのを待っていましたが、僕は父親に手を引かれてその場を離れました。

今になって思うと、あれは人ではなかったような気がしてなりません。
目の前ですごい飛行が行われていたのに、大人たちはそれに気付いていなかったように思えるのです。
神様‥
そんなわけないよな‥
けど時々「模型の神様」と口にするとき、ぼくはその人の姿を思い浮かべています。

先日手紙の返信に添えようと、27年ぶりに水彩絵具で絵を描いてみました。

20060620150837.jpg

相変わらず下手です。

年齢も40中ばを過ぎたので何とかすっきりとした気持ちで、巧く見えるようにとか、デッサンを整えようとか考えないように、素直に描ければいいなと思ったのですが‥なかなかです。
けどちょっといい気持ちになれたので、林先生にご覧頂く事にしました。

針金ライトプレーン

ライトプレーンの事を書いていて、ふと思い出した事がありました。

それは昔、模型屋さんの店頭やおもちゃ屋さん、縁日の店先なんかで売られていた絹張りのライトプレーンの事でした。
青や緑の絹が主翼と尾翼にぴんとキレイに張られて目止めされ、そこには赤い紙を切り抜いて作った日の丸が貼られていました。

けどその飛行機の翼の骨は針金で出来ていたのです。
主翼にリブは無くまったいら。
尾翼の骨も針金で出来ていましたので、重心が合いません。
小さめのプラスチックのプロペラとゴムが付いてちゃんとライトプレーンの形はしているのですが、絶対に飛びません。

どうしてそう思ったのか‥
その飛行機は病気で家から出られない子供が買ってもらうためにあるのだと、子供の僕は信じていました。
色んな店先でその飛行機が束ねてぶら下げられているのを見る度、なんとも言えず可愛いそうな気持ちになって、少し悲しくなっていました。

けど、今ならその飛行機を飛ばして見せる自信があります。

君は病気だから飛ばない飛行機しか貰えなかったんじゃなくて、ちょっと飛ばしにくい飛行機だっただけなんだよ。

20060608135555.jpg

模型飛行機を続けて行こう‥
やっぱりそう思いました。

 | HOME |  »

MONTHLY

CATEGORIES

RECENT ENTRIES

RECENT COMMENTS

RECENT TRACKBACKS

APPENDIX

ページ管理人は「北尾」です。

ページ管理人は「北尾」です。

楽しい模型飛行機の世界をどうぞご一緒に。

このホームページの写真等の無断転載、無断使用は堅くお断りします。

FC2Ad

まとめ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。